母方の祖母は今で言うキャリアウーマンで、私が記憶する限り定年退職するまでずっと農協で働いていた。家事、特に料理については基本的に同居していた曾祖母が行い、家業を分担していたらしい。和裁も洋裁もこなす器用な祖母、という一面をもちながら、料理はからきしというキャラクターで、あまり包丁の扱いが得意だったようには思えないし、祖母の家で食べさせてもらったものはというと茶菓子の他には出前の炒飯や持ち帰りの寿司、要するに出来合いのもののことが多かった。そういうわけで特段に料理が得意でもない祖母が、ほとんど唯一的に、孫である我々にたびたび作ってくれたのがポテトチップスだった。
子供である我々には、純然たるポテトチップスのイメージがある。それはもちろんあの、カルビーのポテトチップスであって、薄くて、パリッとしている。子供とは罪な生き物で、素直で、純粋だ。祖母の作るポテトチップスは我々の思うポテトチップスとは全く異なる、認めがたいもので、「こんなのポテトチップスじゃない」とめいめいに文句を垂れながら、しかしあっという間に平らげていた。
祖母の作るポテトチップスはこうだ。どこにでも売られているメークイン的なジャガイモの皮を剥き、端から薄切りする。スライサーを使わないためか、厚さは全く不揃いで、場合によっては一切れの芋に厚いところと薄いところが同居している。これを水気もとらずにサラダ油の中に放り込んで焦げないようにやや低温で一度揚げにする。揚がったところで塩コショウを振る、という、至ってシンプルなものだ。薄いところについてはみごとな「チップス」になっているけれども、厚い部分はなんとなくもちもちしている。パリッと感に欠けるわけだ。しかし芋の味のしっかりするこのポテトチップスはいつしか孫の集まりの定番料理となり、おやつ時でなくても、例えば年始の親戚の集まりにも食べる。そのたび、今回のは薄いだ(うまくできている)の、厚いだのと講評した。
年始の親戚の集まりはずっと定例ではあったものの、いつしか祖母の家に集まって料理をしながら食べるという形から、外へ行って食べるというスタイルに変わっていった。それは端から見ると元気そのものでしかない祖母が、着実に年齢を重ねていっているという事実の裏返しでもあった。定年後、水泳、ダンス、カラオケにボーリングと目まぐるしい毎日を送っていた祖母も、最後にはお茶を飲みに連れ出すことすらできなくなっていった。
最後にあのポテトチップスを食べたのはいつだったのだろう。いちばん、1等賞が大好きだった私の祖母は、2月1日にこの世を去った。私は、ばあちゃんの作るポテトチップスが大好きだった。