つい昨日、琵琶湖で若者が潜水中に死亡するという、たいへんいたましい事故が報道された。当該若者はまだ大学生。仲間と合わせて3人で琵琶湖に、タナゴ採集に来ていたのだという。遊泳は深夜2時からだというから間違いなく魚の寝込みを狙った採集だ。琵琶湖では昨年にも死亡事故があったように記憶している。心から残念に思う。
最近十数年あまりの間に、体感として琵琶湖を採集のために泳ぐ人間が増えている。採集のための遊泳は、つまり潜水を伴う採集である。潜水そのものはプロの調査でも行われることはそれなりには一般的で、淡水域であればダム湖や河川で行われている。しかしその多くは日中で、夜間のものはごくごく少ない。行われるにしても多くはアクアラング(いわゆる酸素ボンベ)を背負ったスキューバダイビングで、タンクを伴わないスキンダイビングであることはごく浅い場所で行われるものを除けばないと考えていい。理由は単純で、危険性の高さが成果に見合わないためである。
私は小学生の頃からプール遊泳が苦手で、海でも泳ぐのが苦痛な子供だった。長い間赤帽で、プールで溺れかけたことも何度かある。ただ魚を捕るとなると話は別で、小学三年生の頃からゴーグルをつけて海や川で潜り、川底に潜む魚を採ってきた。ただ、川の場合は大人も目の届くようなキャンプサイトの脇の浅く、流れのゆるやかなところだけで、もちろん日中である。頻度はというと年に二度か三度で、十分達者であったとはとても言えない。
琵琶湖ではじめて泳いだのは高校2年の年だ。琵琶湖には海水浴ならぬ湖水浴場が何ヵ所かあって、そこで生物部のなかまたちと泳いだ。話が少し横道にそれてしまうが私の出身高校はスポーツに異様な執念をもった学風があり、誰一人としてプールの見学パスは許さず、連続300メートル遊泳が達成できなければ留年させるという、本当にそういう事例があったのかは分からないけれどそういう手合いであったので、当然私もこれはふつうにパスできるようになり、体力テストも万年E組状態から3年間でBクラスにまでランク上げ"させられる"という具合であったから、体力はおのずと標準以上になっていた。それでも琵琶湖には海ほどではないが波があり、浅い場所ではヒロハノエビモなどが密な群落を作っていて、それに大いに絡まる。さらにその外側まで泳ぐと水深が一気に落ち込みはじめ、湖流の影響も受ける。なのでかえって海の方がよほど泳ぎやすいものだと実感することとなった。
川での潜水を頻繁に行うようになったのは、大学に入ってからである。大学ではスキンダイビング(要するにタンクを伴わない素潜り)のサークルに入った。そこは基本的に全くの未経験者が加入するようなサークルだったのだが、中に数人のCカード保有者、要するにスキューバダイビングの講習修了者がいて、OBを含めた連中で毎年6月から複数回、浅くおだやかな小湾で実地練習を行っていた。道具の使い方を覚えるのはもちろん、その過程でさまざまなトラブル回避を習う。基本的なところであればマスクに水が入ってきたらどうやって抜くかとか、水中でフィンが外れたらどうするかとか。息を長く止める練習もずいぶんやった。加入したばかりの新入生はみな、マスク、シュノーケル、フィンにラッシュガードだけで、ウエットスーツを買うことはない。なのでここではウエットスーツのいろはを習うわけではない。ただそれは、海だけ、しかも夏の暖かい時期だけで活動していたからこそ、可能だったのだと思っている。川では水温が低く、ほんの二時間ほどで体が冷えきってしまう。しかも、海とちがって浮力が少ない。早い話が体が沈んでしまうのだ。なおこのサークルはあくまで海を泳ぐだけで採集を禁止していたから、採集に関する危険指導は受けてはいない。
私の場合、せっかくマスクとフィンを買ったのだからと、いろはを覚えるとすぐに川で泳ぐことを始めた。もちろんこれは、川魚を捕まえて食べるためである。ただはじめのうちは友達同士のグループで、海でひとしきり泳いでから、川に移動して泳ぐ。何度も何度も同じ場所に通って、次に夜も泳ぎ始めた。まず、川と海の大きなちがいは、浮力の差で、海よりも体がよく沈む。逆に言えば浮き上がりにくいわけで、海のように脱力すれば浮き上がれるということはまずない。そこがもっとも危険なところで、だからこそ私はウエットスーツを着用して泳ぐようになった。体温保持や、体の保護も理由にあるとはいえ、ウエットスーツは浮力の確保という点でたいへん優れており、たとえば体に鉛のベルトを巻かなければ川底に潜ることは難しい。したがってそのベルトを締めて潜るわけだが、肝心なのはトラブルが起きた時にいつでもそのベルトを捨てられるように準備しておくことである。ウエットスーツのチャック紐や、採集用の袋などに絡んで、いつまでも外れないようではダメであるから、それぞれがきちんと独立しているように注意する。ベルトを水底に捨ててしまえば、ウエットスーツの浮力で一気に浮上し、いのちをつなぐことができる。
川の中というのは海よりよほど複雑で、表面上はおだやかであっても中には激しく川底に引き込まれるような流れがあり、あるいは表層は下流に向かって流れていても、底では上流に向かって流れるような場所も普通にある。狭い場所に水が引き込まれるようなところもあって、そこは足が入ると水に押され、簡単には抜けられない。ただそこでも十分な冷静さがあれば水の流れをいなして、抜け出すこともできる。日中であれば自分がどちらを向いていて、何が起きているのかということをしっかりと把握することができる。それでも川が増水すると、流れは平時とは変わるし、そもそもの地形が破壊的な出水によって変わってしまうこともある。日常的と言えるくらい、自分の庭くらいに環境を把握できて、はじめて夜の潜水への道が開けてくる。
潜水自体が危険行為で、そこに採集も加わると危険度はさらに上がる。さらに夜となると、危険の三重苦である。もっとも危険なのは魚を捕まえることに夢中になってしまうことで、すると自分がどこにいるのか、どういう状態にあるのかという現状把握がおろそかになりがちである。夜の場合、そのレベルが一気に上がってしまう。普通に使うと明るすぎるくらいのライトでも水中で照らせる範囲はごく狭いし、そもそも採集目的の場合、わざと光量を落として活動することが多いので、とにかく見える範囲が狭い。気がつくと水中の流木などに体のどこかが引っ掛かっている、ということは普通にあり、そういうことがあるという前提で泳がなければならない。
私が琵琶湖で夜間に泳ぐようになったのは大学2年の頃で、しかしその時点でもやはり、まず日中に上から見て、さらに泳いで、それから夜に泳ぐという3点セットを欠かしてはいなかった。改めて採集のために泳いだ琵琶湖は、川とはまたなにもかもが異なっていた。琵琶湖は、北の方の水のきれいな場所でも意外と濁りがあって視界が悪い。湖の底は岩盤、礫、砂などさまざまながら、礫や砂の場合、川のようにぎゅっと締まっているというより、ふわっと柔らかく積ってるだけのことが多いから、そこに着地しようと考えてもなかなかバランスが保てない。沖から来る波があり、湖内にはつねに湖流がある。この湖流の向きはランダムで、湖岸に沿って流れるような場合もあれば、岸から沖に向かって流れていることもある。海の離岸流ほどに強烈ではないものの、川の河口に近いとこであれば同様な状況が生じうる。
川にはない琵琶湖特有の条件はふたつある。ひとつは、岸から離れるとどこまで行っても休むところがないこと。なにかに掴まって、あるいは、上に乗って一息つくということは基本的に無理である。そして、夏場には強い水温躍層が生じる。表層はぬるくても、湖底に向かって泳ぐと水深3メートルもいけばぐっと冷たくなる。泳ぎ続けるしかない環境でこのような条件にさらされれば、おのずと足がつるなどのトラブルに陥りやすくなる。
私は大学院までしばらくの間、琵琶湖の各所で夜間の潜水をしたけれど、いつも泳ぎ終わるたびに、目的の魚が採れたか、採れなかったかというよりも、今回も生きて終えることができたという安堵感の方が大きかった。川でも、海でも、あらゆる死亡パターンを頭の中で想定して、それらを回避するよう心がけている。それでも、いつ予想だにしないトラブルで致命的な事故を起こしてしまうかは分からない。グループで、複数人で泳げばトラブルにも気付きやすくはなるが、ただでさえ夜で、たとえ気が付いたとして実際には通報以外なにもできないだろうし、二次災害を防ぐためにぜったいに助けに行くべきではない。
私が見ている限り、琵琶湖で潜水しているひとたちの中には、ウエットスーツを着用していない者が少なくない。言葉を選ばずに言うが、もうこれはほとんど自殺行為なのである。ウエットスーツを着て、あらゆるトラブル回避術を学び、実行力を身に付けること。基本的にはなんらかの形で安全講習を受けることが望ましい。昼間に何度も下見をして、実際に絵がかけるくらいに地形をよく把握しておくこと。ここまでやってはじめて夜間潜水への道が開かれるのであって、それすらできないような人間はこのような危険行為をすべきではない。なお泳ぎ方にもよるがショートフィンは推進力が小さいために余計な力が必要になるので、基本的にはロングフィンを使うべきだろう。私は川でも湖でも硬めのロングフィン(とマリンシューズの組み合わせ)を使っている。
私は今、プロの研究者として、研究のために川で夜間も含めて潜水をすることがある。ずいぶん無理なことをやってはいるが、今も現場の日中の下見は欠かすことがないし、条件が悪ければ中止する(それでも安全というわけではなく、危ない、と思うタイミングはある)。日本には潜水調査を組み込んだ研究を行っている大学研究室がいくつもあるが、そのほぼすべてが海でのスキューバダイビングであり、きちんとした講習を受けなければ実施できないよう、安全管理が行われている。実際問題として、川の場合は危険が大きいことから全く認めていない研究室がほとんどだろう。例外的に、研究室配属前から日常的に泳いできたような人間や、それこそダイビング経験の高い学生であれば、そうした研究に従事できる可能性があるものの、ごく浅い場所ならともかく、研究室というわずかな期間でそこまでを確保することはおそらく難しいだろう。私が考えるに、琵琶湖での素潜り調査を学生の研究として許可できる研究室は現状存在しない。それだけ、危険行為だということである。