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川や湖で潜るということ

つい昨日、琵琶湖で若者が潜水中に死亡するという、たいへんいたましい事故が報道された。当該若者はまだ大学生。仲間と合わせて3人で琵琶湖に、タナゴ採集に来ていたのだという。遊泳は深夜2時からだというから間違いなく魚の寝込みを狙った採集だ。琵琶湖では昨年にも死亡事故があったように記憶している。心から残念に思う。 最近十数年あまりの間に、体感として琵琶湖を採集のために泳ぐ人間が増えている。採集のための遊泳は、つまり潜水を伴う採集である。潜水そのものはプロの調査でも行われることはそれなりには一般的で、淡水域であればダム湖や河川で行われている。しかしその多くは日中で、夜間のものはごくごく少ない。行われるにしても多くはアクアラング(いわゆる酸素ボンベ)を背負ったスキューバダイビングで、タンクを伴わないスキンダイビングであることはごく浅い場所で行われるものを除けばないと考えていい。理由は単純で、危険性の高さが成果に見合わないためである。 私は小学生の頃からプール遊泳が苦手で、海でも泳ぐのが苦痛な子供だった。長い間赤帽で、プールで溺れかけたことも何度かある。ただ魚を捕るとなると話は別で、小学三年生の頃からゴーグルをつけて海や川で潜り、川底に潜む魚を採ってきた。ただ、川の場合は大人も目の届くようなキャンプサイトの脇の浅く、流れのゆるやかなところだけで、もちろん日中である。頻度はというと年に二度か三度で、十分達者であったとはとても言えない。 琵琶湖ではじめて泳いだのは高校2年の年だ。琵琶湖には海水浴ならぬ湖水浴場が何ヵ所かあって、そこで生物部のなかまたちと泳いだ。話が少し横道にそれてしまうが私の出身高校はスポーツに異様な執念をもった学風があり、誰一人としてプールの見学パスは許さず、連続300メートル遊泳が達成できなければ留年させるという、本当にそういう事例があったのかは分からないけれどそういう手合いであったので、当然私もこれはふつうにパスできるようになり、体力テストも万年E組状態から3年間でBクラスにまでランク上げ"させられる"という具合であったから、体力はおのずと標準以上になっていた。それでも琵琶湖には海ほどではないが波があり、浅い場所ではヒロハノエビモなどが密な群落を作っていて、それに大いに絡まる。さらにその外側まで泳ぐと水深が一気に落ち込みはじめ、湖流の影響も受...

淡水魚飲食旅案内の頒布@コミティア156

 淡水魚飲食旅案内は、もともと対面での頒布を意図して作成している。対面であること、にどのくらい意味があるか、それは私個人が勝手に判断すればいいことなのだが、どういうひとたちが手に取るか知りたかったし、普通は届かぬような思いもよらないところへと届けてみたいという気持ちがあった。 とはいえ私もそうそう時間をとることができないから、とりあえず関西、関東とひとつずつはイベントに売り子として出ることにしたのだった。東京へは、直接行ったわけではなくて、長野県でお世話になった飲食店に冊子をお渡しして、その旅の後半戦に位置づけた。関西コミティアと、東京で開かれるコミティアはまったく規模感が異なる。サークル参加数がそもそも3倍くらい?あり、来場者数も多くなる。そういうわけで思ったよりもたくさんの部数を持ち込まないと、時間が来る前に品切れになっては申し訳が立たない。そう考えて少し多めに会場に送ってもらっていた。 前回の反省を活かしてレイアウトを変え、冊子は潔く机の上に横向きに2列、平積みすることにした。それはよかったのだが、会場に着いて分かったのは今回評論ジャンルと旅ジャンルが会場内で大きく離れた場所に配置されていたことだ。我々の冊子は評論でもあり、旅でもあるので、おそらくは旅ジャンルと親和性が高い。それが物理的に離れているのは不利に感じた。 さらに、開催時間が1時間長いとはいえ、これだけのサークル数を見回るのはかなりたいへんだ。おのずと、目当てのサークルを事前に詳細にチェックしておき、次々に直行していくスタイルになっていくのだろう。関西コミティアではいた、なんとなくふらふら歩いているようなひとたちの割合はとても低かった。そういうわけで、思っていたような、縁もゆかりもないような方へ届けてみたいというふんわりした試みは、あんまりうまくいかなかったように思う。 それでも、ブースにはたくさんのひとたちが来てくれて、色々な話もできた(その余裕が思いがけずあった)。とにかくおなかが空くので、差し入れの数々もとてもありがたかった。私自身にとってはあちこち見て回る時間が生まれたので、気になるものをたくさん入手することができた。 夜は吉池で一通り水産物を見てから、東北料理屋でお疲れさま会。これにて私の同人誌即売会参加というイベントはいったんのおわりをみた。

淡水魚飲食旅案内 その内容について

これから淡水魚飲食旅案内の入手を検討しているひとたちのために、どのような本なのか、ここに説明しておきたい。 幾度かのつぶやきにもあるとおり、本書は魚滋会のこれまでの取り組みをまとめたフォトブックである。魚滋会(うおしげかい)とは、私が主宰する淡水魚を食べる取り組みであり、基本的には10人程度、魚を食べることが好きなひとたちを集めて、年に一度実施しているイベントである。 初回は1泊2日で開催したが、それではあまりにできることが限られるので第二回以降は2泊3日開催として、これまでに五回、実施している。魚滋会は土地土地で淡水魚を食べること、そのありようを知る、というものだから、食べることはもちろん、魚が採れる場所へ行き、水揚げや流通を見る。ときには、何らかの方法で食材となる淡水魚を現地調達し、自分たちで調理する。私は淡水魚料理のノウハウをおおむね身に付けているし、幸いにして魚の扱いに慣れた参加者が多いので、意外にこれも楽しく、また発見もある。 ただ、このような自炊行為よりも、その土地の飲食店で実際に提供されている料理を食べることの方が重要だ。多種多様な淡水魚料理を一人二人で総なめすることは困難だが、人数がいればメニュー表の端から端までを食べきることもできる。また、さまざまなバックグラウンドをもつひとびとの食事と会話は、それ自体に大きな価値がある。淡水魚料理の理解のための価値である。 そういうわけで毎年、旅先との細やかな調整に苦心しながら開催している本会では、回ごとに参加者が大量の写真を撮影している。ほとんどは食材や料理だが、水辺や町並みの写真もある。回が終わるとそれぞれの写真を出しあって共有している。そうした写真たちは基本的に表に出ることなく、内輪だけで共有されてきた。それらを改めてまとめて、書物としてまとめようというのがそもそもの発端なのである。 今回企画したフォトブック、淡水魚飲食旅案内では、こうした写真の数々を可能な限り収録するように努めた。まったく同じ構図の写真がかなりあるため、そのなかでも魅力的な一枚を選定した。ただし、魅力的ではありながらも、説明的でない、第三者にはよく分からない写真についてはやむなく削ることになった。それでも、写真は350枚以上になった。 さらに、それぞれの写真の理解を助けるべく、さまざまなテキストを追加していった。というよりも、実際の作業と...

淡水魚飲食旅案内の頒布@関西コミティア

 たびたびツイッターでお知らせしているとおり、魚滋会のこれまでの活動をまとめたフォトブック、「淡水魚飲食旅案内」を作った。本書はこれまでの参加者にとってのメモリーブックでもあり、そしてまさしく旅案内でもあり、そして参加者だけにとどまらない、淡水魚文化の記録書でもあるので、一般への頒布を始めている。手に取りやすいよう可能な限り安い値段に設定したので、幅広い層へと届くことを(淡く、しかしたしかに)期待している。 さて本書は5月10日頃に刷り上がり、5月17日の関西コミティア76をもって初頒布を果たした。果たした、とは言っても私はほとんど行っただけであり、申し込みからなにから、すべて炬茶さんが手配したものだ。そもそも私には販売の権利はなく収益には関与しないので、魚滋会の主宰者ではあるけれど頒布の主体者ではない。 大阪には当日の朝、愛知県から出かけた。サークル参加は9時50分から会場に入れるというので、コスモスクエア駅でざっくり9時半に待ち合わせて、そこから歩いて会場へ。乗り換えの本町駅の時点でスーツケースを引いた方が異様に多く、これらがすべて関西コミティアを目指しているのかと実感した。 会場であるインテックス大阪は、広かった。それまで出掛けたことがあるのは九州コミティアだけなので、規模のちがいは歴然。自分達のサークル水景回遊の場所に着くと、すでに片側には参加者が来ていて設営を始めていた。スペースの幅は90センチと決まっていてまったく広いわけではない。常識なのかもしれないけれど、いざ自分が座る側になると狭い。椅子はスペースに2つずつ配られてはいるものの、椅子2つを擦り合わせるほど近づけなければ横のスペースにはみ出してしまう。本がでかいので箱もでかくて邪魔になる!なんとか設営を済ませて頒布を始めても、これまたなかなかリズムよくいかない。今回は私だけでなくオリザさんもヘルプで来られていたのだが、当然3人はスペースに入るわけもない。今日ほどスモールライトがほしいと思った日もない。列ができるのも邪魔になるのであまり長々と話しているわけにもいかない。その案配が難しい。 結局私は途中から壁際に立っていることにして、来てくださった方にはお礼をして、少し話し、ときどき売り子を代わりつつで終了時間を迎えた。売り子、むずかしいな…(素直な感想) 炬茶さんは慣れた様子ではあったものの、単...

サバヒーの話 その2

 さてはじめてのサバヒー体験のあとも、台湾での滞在は続いた。この時滞在していたのは台湾最南端の街、恒春にほど近い研究施設のゲストハウスで、しかし歩いて行けるような範囲にコンビニもなにもないから、朝は車で朝飯屋に出掛けて饅頭やサンドイッチを買うか、コンビニでおにぎりか。昼は弁当で夜だけは恒春まで出て飯を食べていた。恒春というのはそこそこの街で、田舎町ではあるけれどもとにかく飲食店の数はかなり多い。ただ何度も恒春に行けたわけではなくて、たしかこの時には一度しか行けなかった。滞在そのものがタイトであったし、相当多くの時間を研究に費やしていたためである。したがって夜も食べに出るというより屋台店で買ってきたおでんや串もの、ビーフンなどを食べつつ過ごしていた。ただ、このあと述べるとおりでここで二度目のサバヒーを食べた。 さて東港にはじめて出かけたのもこの時である。東港というのは台湾南西部にある鎮で、その名のとおり港から発展した街だ。台湾にはいくつかの巨大な漁業基地があるが、東港もそのひとつ。東港は流通基地という側面も持っているようだが、東港において主要な漁業は底曳き網、そしてサクラエビを主対象としたトロール漁がある。ただ一般の人々にとっては漁業基地というよりむしろ観光地として機能しており、それは日本の旧築地や境港などと同様である。トロール船が漁を終えて港にやってくるのが昼過ぎ、さらにそこからメインの積み荷を下ろして混獲雑魚を下ろすのは14時半頃になる。したがって車城の研究施設を11時頃に出て、途中道すがらお昼を食べて、東港へという算段だ。またある日は東港へ少し早めに着いて、ゆっくりと昼食をとってから混獲物を見ることになった。先に書いたとおりで水揚げ港の近くには大きな観光客向けの販売建物があって、なかにはところ狭しといった具合で小店が立ち並んでいる。多くは生鮮水産物を売る店なのだが干物や乾物、からすみといった土産物を売る店も多い。海鮮料理店もあり、ここでいくつかの海鮮料理と、チャーハンなどを食べることになった。東港の生鮮水産物店にもサバヒーはあった。ただし、売られているのはほとんどがサバヒーの頭の部分だけであり、それがたいへん奇異に感じられた。なぜ、頭だけ?身の部分はいったいどこへいったのだろうか。頭の部分はきれいに洗浄して丸いざるに上を向けて並べられており、それの光景が...

サバヒーの話

 サバヒーのことは、以前一度このブログで取り上げている。 台湾のサバヒーと粥 https://share.google/1xmK4v87kcdn0vuYP ただここで書き留めたのは私が触れてきた台湾サバヒーカルチャーのほんの一端であって、総論として、今の台湾の人々にとってのサバヒーのありようとはなにか?を論じるには、不十分なように思われる。実際、私はこれまで何度も台湾に渡って、それらの目的はサバヒー文化を調べることではなかったけれども、結果的にあらかたの全体像が見えてくるところまでは訪問できた気がしている。写真についてはあとあとで追記することにして、いったん私が見て、食べて、聞いて、感じてきたサバヒー文化についていくらか書き残しておきたい。 サバヒー、司目魚、あるいは虱目魚を初めて食べたのは、2014年のことである。2014年というのは私にとっての初めての台湾訪問の年で、このとき台湾で食べると決めていたのがサバヒーと、ボンベイダックことテナガミズテングであった。旅は2月。台北、基隆での滞在から始まり、高雄から屏東に向けて南下する道すがら、サバヒーを食べることに成功した。台北ではふたつの市内市場を見学していて、ここで初めて、鮮魚として売られるサバヒーを見た。基隆では市場にも、スーパーにも行っていないので、少なくとも形の分かるものは見ていない。 台北から高雄まで台湾高鐵を使って移動し、そこからは車に乗り換えて少しずつ南下する。現地の研究者に事前にサバヒーが食べたいということは伝えてあったものの、ここまで連れていってもらった飲食店では影も形もなく残念に思っていた。高雄、というか左営に着いたのはもう四時半か五時だったか、とにかくすでに夕方なのであり、あたりはみるみる暗くなってしまった。その真っ暗な道すがら、立ち寄った店で食べたのがサバヒーの腹のスープ(虱目魚肚湯)なのであった。この店にはなんとサバヒーはメニュー表になかったのであるが、現地の研究者が交渉してくれたおかげで、出してもらうことができた。この店があったのは枋寮という小さな街で、ロードサイドの海鮮料理店であった。はじめて食べたサバヒーの印象は柔らかい。そして、骨が気になるということだった。後々になって知るのだが、今やほとんどの台湾のサバヒーはひじょうに最適化された形で加工されており、特に腹の部分、つまり魚肚は...

魚滋会2025琵琶湖再び編

 去る5月10日から、魚滋会で琵琶湖にいた。個人的に調べておきたいことがあり、その前から滋賀県には出入りしていたのだけれど、始まりは10日、長浜駅から。魚滋会と 名をつける前、最初に開催したのが琵琶湖で、その時にもいた方も数名参加した。 前回の時には、沖島に行って、まだ春の魚たちが盛りになる前の時期を楽しんだ。琵琶湖には四季折々の楽しみがあるから、次は別の時期にやりましょうと話していたものの、その後の急速なパンデミックは島での開催可能性を閉ざしてしまった。改めて今年であれば、沖島に再び行くこと選択肢にはあった。ただし、前回と今回の大きく異なるのは自炊という要素のウェートで、そもそも初回は1泊で、自炊要素はゼロだった。 私も、それなりに琵琶湖に長く付き合っているので、どの地域に、どういう尺度の、どういう楽しみがあるかはある程度把握している。新しい人たちの思い思いの動きもある。ただ、魚滋会を企画したコンセプトに立ち返ったとき、やはり地域にもともとある料理の魅力をフラットに再確認する、という点が重視されるので、あまりきをてらうような選択はしないで、むしろ地域にとっては伝統的と思われているものを選んだ。 今はちょうど、琵琶湖の春の盛りから、夏へと切り替わるタイミングにあたる。湖畔を見渡すと水の入った田がまだ完全には面をなしておらず、ところどころに歯抜けがみられる。本来、琵琶湖に近いエリアの田植えはゴールデンウィーク中には済ませるのが通例だったが、次第に遅くなっている。麦作をするところが増えたこともその一因だと思う。開催前日にまとまった降雨があり、水位が上がったことで宿泊地の近くでもフナやドジョウの産卵をみることができた。このような魚について、味の点で言えば最盛期からは落ちる。それでも、その変化にこそ淡水魚の四季がある。 2日目には湖北海津の漁業者、宮崎さんと田村さんに協力を仰いで、たくさんの湖魚をへとへとになるまで料理して食べた。7時半から食べ始めたのに、ようやく寝られたのは2時過ぎだった。

かつての外食 その1

 私の育った家にとって外食とは特別な存在だった。そういう家に育ったことはいま考えると本当に幸運なことだったと思うけれど、一方でそれが理由で気づくのに遅れた味も多い。 我が家は決して裕福ではなかったし、母は家族の健康を気にして、また姑の目を気にして滅多に外食がなく、もちろん出前をとったこともない。姑、つまり私の祖母(昭和1桁生)は典型的な愛知県西部の中流思想であって、外食はぜいたくに限り、サラリーマンが行くようなうどん屋、定食屋、あるいはファミレスといったものを明確に嫌悪していたし、そうした飲食店を利用することを下品だといって露骨に嫌がった。もちろん、マクドナルドのようなファストフードも許していなかったが、なぜかミスタードーナツは認めていた。洋菓子屋の立ち位置だったためだろうか? そんなわけだから私にとっての外食機会とはなんぞごとの時に訪れる祖父母との食事、法事にまつまる食事、そして我が家で小銭貯金が貯まったときに発生するプチぜいたくとしての外食、に概ね区分できた。ここに加えて、子供会のような組織、ママ友関係での食事(これは昼の外食か、おやつどきの外出になる)が年に数回、従兄弟家族との外食が数回、と数えていくことができる。 水鶏庵は、普段的な店をきらう祖母が唯一許していた店で、そば屋だった。許していた理由はなんとなく分かる。それなりに格式張った店で、もともと織物屋をやっていた方が工場を畳んで始めた店なのだ。その伊藤さんはもともとこの土地に由緒ある家系である。 水鶏庵では、ほとんど決まってざるそばを食べた。席はほとんどの場合、入り口を入って右手の座敷で、江戸時代や昭和の初期に描かれた宵祭りの絵を眺めながら、表面に駒かな凸凹のある机の上を指で撫でながら、そばを食べていた。この店のそばは太めの、灰色の信州そばで、私のそば観はこの店によって出来上がったといって差し支えない。ぜいたくとして、天ぷらそばを食べることもあった。そば屋ながら、きしめんもメニューにはちゃんとあり、夏場などは仕事を抜けた祖父と一緒にきしころを食べに行った。この店はきしころもうまい。日本で指折りのきしころのうまい店だった。 水鶏庵の名物に、麩田楽があった。津島麩、という今や廃れた生麩を焼いて、田楽味噌を塗ったもの。プレーン、きび、抹茶の三色あり、ほとんど味に差はないが、必ず食べるお気に入りの味だった...

鯉の腹は砂肝の代わりにする

私はおいしいものが好きなので、盛りの時期以外にはあまり川魚を採らない。必要に応じて採ることはもちろんあるけれど、それは食べたいから、とは少し違う。 鯉の場合、いちばんうまいのはやはり大寒からそれを少し過ぎた頃までで、そのあととなると次第に肉の味が抜けてくる。産卵のため、生殖腺に栄養がとられていくためだ。鯉ほどの魚であれば、産卵してそこで死ぬ、わけでなく、何年も産卵を続けるせいか、ものすごくひどいということではない。あくまで一番よい時期に比べて劣るという話で、その時期が大まかに言えば3月から、6月までとなる。夏になれば体力は回復しきっているものの、今度は水のにおいが肉につくという問題が生じるので、結局食べるのは10月末から2月までになる。養殖の場合には年中問題なく食べられる。 さて川で出会ったおじさんが捕まえた、6キロはあるかという大鯉をいただいた。おろして同行者と山分けして、5日かけてどうにか食べた。やはり味は落ちるが、骨から出る味はそうそう変わらないので汁はたいへんよろしかった。 肉の方は、色々として食べたが問題はこれだけ大きい鯉が産卵を控えると、どうしても骨がましくなる点にある。普通に刺し身として引くと小骨ならぬ大骨が気になる。ただ、腹側には肉間骨がないのでその点心配は無用である。このうち、肋骨のない腹中の腹ビレ周りはもっとも肉がうすく、皮もうすいがつまみには一番の部位だ。 ほんの少しだけ塩を加えた湯を沸かして、ここにこの肉を塊のまま、投入する。2割くらい火を通したら冷水にとり、皮の方を指でしごいてよく洗う。ぬめり気が残っていると台無しになるからだ。そうして水気をしっかり拭いたら、皮ごと包丁で薄く、厚さ3ミリ内外に細切りして、鷹の爪、二杯酢をかける。鯉一匹でノミカタをする際には、必ず酒のつまみに出す一品だと教えてもらった。

ソーミンタシヤー

カマスサワラの肉を使ったソーミンタシヤーは前にも記事にしている。なので記事にするのは二度目なのである。 ソーミンタシヤーは、飲食業上はソーミンチャンプルーもしくはソーメンチャンプルーと呼ばれているが、やはりタシヤー(もしくは発音の都合上タシャー)だと思う。そのへんで出会ったおばーに聞くと、タシヤーである。さてそのソーミンタシヤーにも家庭によっていくつもの作り方があるのであって、もっとも簡易なものでは湯がいたソーメンを油で和えるだけで炒めもしない。具材もきわめて多彩で、具なしから具沢山までなんでもありのようだ。 さて家で食事として作るなら、多少は野菜がほしい。さらに味気のあるものであってほしいとなるとやはりツナ缶を使ったものがいちばんだと思う。ツナ缶は安いし、うまみの付け足しにはもってこいだ。 一度にぜんぶ食べてしまったけれど、ここでは二人前として作る。先に野菜を準備する。とは言っても余りの玉ねぎ半玉をくし切りに、ねぎ1本を適当に切る。唐辛子も刻む。たっぷりの湯で素麺を二束、固めに湯がいてざるにとる。固めというのは、茹で時間でだいたい30秒ほど。水をかけたりしないでここに油をかけ、箸でざざっと動かして油をなじませておく。 ツナ缶(油漬け)は缶を開けたら油のところをフライパンに入れる。大きめのフライパンを使うのがよくて、我が家ではテフロンの深いフライパンがあるのでこれを使った。火にかけ、玉ねぎと唐辛子をさっと炒めたら、先に茹でておいた素麺(一塊になっている)を小さな塊ずつほぐし取り、少々平たくしてフライパン全体に並べる。ちょうど、モズクの天ぷらをするときのようなイメージで小さな塊を並べて、中火~中弱火にかけておく。炒めようと、動かそうとせずに、とにかくほっておく。好みの焦げ目がついてきたら水を少々加えてフライパンから剥がすようにして混ぜ、さらにねぎ、ツナを加えて混ぜる。最後、少しだけナンプラーを振って完成。ナンプラーでなく、醤油とか、塩コショウでもかまわない。素麺とツナ缶に塩気があるから、最小限でいい。

モクズガニと高菜を炊く

福岡や佐賀では冬になると高菜を植えている家が多い、ということは歩き回ると分かってくる。小さな家庭用の畑に、何列も植えている家もあって、それはもっぱら高菜漬けを仕込むためだ。とは言え高菜漬けになるような大きな株になるまでの間、少しずつ若い菜を食べていく。若い人のことは知らないが、少なくとも今も年寄りはそうしている。高菜は渋みと辛み、要はクセがあるので、炒めて食べるか、もしくは煮て食べる。煮て食べるにしても一回さっと湯に通しておくと食べやすくなる。 この若い高菜のある時期に、高菜を「川のもんと炊く」というのは誰からともなく聞かれる言葉で、たしかに個性のある川のもんとの相性はいい。ここで言う川のもんとは、オイカワやフナや、あるいはテナガエビやモクズガニのことで、こうした生き物がちょうどこの時期の堤返しや、水落ちで捕れた。今はそうした慣習もほとんどなくなり、高菜は海魚や油揚げと炊かれている。 モクズガニの雌が手に入ったが美しい川で捕れたものではないので、塩茹でで食べるのは躊躇した。そんなタイミングで若い高菜を見つける。カニは持ち帰ってチョロ流しの水道水で1時間ほど泳がせてから、熱湯に放り込んで殺して、1分ほどでざるにあける。熱湯に放り込むと、一気にバラバラ死体になる。ふんどしを外し、甲を開いてエラだけを取る。ここまでしたら鍋に戻して水から中火にかけ、沸騰したら少しだけあくをすくって10分ほど炊く。好みの醤油を少し加えて味を付けたら、高菜を加えてしなっとするまで炊く。汁は多めで、煮物と汁物の役割を兼ねるようにする。汁にカニの油がたんと出て、それを吸った高菜がうまくなる。

ツバメコノシロの大陸的料理

ツバメコノシロはツバメコノシロ科という仲間のうちで日本でもっとも多く見られるもので、短い吻に小さな下顎、糸状に広がる胸鰭など独特な形をなす。もっとも多く見られると言ってもその分布は南日本に遍在している。近年、特にここ20年ほどに限定してみるとその確認範囲は着実に東へ、そして北へと上がっているようで、私が三重県で市場通いをしていた頃にも毎年定置網で混獲されていた。とは言っても採れるものはというと決まって100から150グラムそこそこで、それより小さいでも大きいでもなく、また採れるものも年に数匹程度なものだからたいていは標本にしていた。一度だけ、開いて干物にしたけれど特に味についての印象はなかった。ところが今年、店頭に見たこともないほどに大きなツバメコノシロが三匹も並んでいるところに遭遇した。福岡の海ではこれまでのところ、本種を見かけたことがない。この魚たちもよく見てみると鹿児島産のものであった。しかしそんなことはどうでもよく、明らかに扱いの悪くない、大きなツバメコノシロが、売れるはずもなくこちらを大きな眼で見ているものだから、買って帰らないわけにはいけない。 持ち帰って計ってみると600グラムを超える、本当に大型のもので、開くと大きな卵巣が出てきた。鹿児島では、もはや成熟個体が何匹も採れるわけだ。そうして持ち帰った2匹を、あれこれと調理したのだけれど鱗はタイのようにびっちりとしていてとにかく飛びまくるし、かといって肉の味はなんとなくボケていてまさしくニベ科のようだった。刺身、煮付け、塩焼き、マース煮、素揚げなどやってみたもののいまいちこれだと言えるものがない。そんな中できちんと、間違いなくベストだったのがやっぱり姿身の揚げ煮だった。これなど、東南アジアや中国南部で食べられる馬友魚の料理そのものなのであって、やはりツバメコノシロにはツバメコノシロなりの調理があるのだと実感する。 調理には特に難しい点はない。ツバメコノシロは鱗もついたまま半分に背割り、二枚おろしにして、背骨のついた側の方を使ってみた。まずは腹のところをよく洗い、エラもとって血をよく洗う。ツバメコノシロは血が多い。血の気が取れたら身側皮側いずれにも塩を振り、ざるに乗せてななめに立てておく。塩は塩焼きの三倍ほどで、しっかり振る。1時間もすると水が出てきてたまるので、表面をさっと水洗いして塩を洗い流し、しっかり...

若アユで冷や汁めし

 6月が近づくと今年もアユの季節が来たのだと思い、各地の川の状況を調べ始める。昨今5月のうちから夏日となるのは全くいただけないけれど、暑くなり、日照りがあると、川石に苔がつく。ただしいい苔(正確には苔ではない)がついて、アユがうまくなるためには、きちんとした降雨があり、川底が磨かれており、そしてダムの影響が少ないという条件が必要だ。こんな些細な条件すら満たすことのできない川が多い。 さていくら6月になってアユ漁が解禁といっても、解禁直後のものを手に入れられる機会はそうそう巡ってこない。自分で採りに行く時間もない。そういう状況に対処する次善の策として、近年は6月に入るか入らないかという頃合いで養殖のアユを買い求めてるようにしている。あるところで育てられているすばらしいアユだ。実際に池を見に行ったのは昨年のことで、あまりに透明すぎる池の中で、何匹かのアユが立派に縄張りを主張している光景に目を奪われた。こういう養殖アユを食べていると、必ずしも天然の方が上、と単純な話ではないということが分かる。そもそも、先に述べたようによい天然というものはほとんどないわけだから、しかしよい養殖というものがどれほどあるだろうか。もちろん、よいの基準は天然のよい、である。 さて手元に届いたアユはピカピカで、重さは65から68グラムといったところ。こういう小振りな個体は背ごしやたたきに向いている。もはや暑いので、夏向きの冷や汁を作る。 まずは冷や汁に使う汁で、これはいりこの水だしがもっともよい。ただしあまりに濃いのはダメで、アユを殺さないよう薄めにする。ここにうすくち醤油を本当にわずかに加えておく。これも多すぎては全く台無しになっていけない。 アユは鱗を掻いてから、頭、内臓を除いて、氷水の中で腹のところを丁寧に洗う。骨に沿う血や腎臓をこき出し、黒い膜もぜんぶ取る。ただしやさしくやる。水気を拭き取ったら背鰭、しり鰭、腹鰭と各部の鰭を切り取り、厚さ4ミリ程度で背ごしにしていく。これをさらに粗く叩いてから、タデの刻んだものを加えてさらに叩く。完全にすり身状にはせず、ほどほどに粗さが残っていた方が食べるのが楽しい。最後にわずかの塩を振りかけてさっと混ぜ込んでおく。ミョウガを好みのように刻み、柴漬けも細かく刻む。今は刻んだものも売られているのでそれでも構わない。 炊きざましの冷や飯にアユの肉を平た...

台湾のサバヒーと粥

 サバヒーというのは日本では全く馴染みのない魚で、そもそも名前を知っていたとしても日本にも分布していることを知っているとは限らない。大きなものが見られるのはおおむね琉球列島だけで、その琉球列島でも本種は明らかにマイノリティである。サバヒーはおだやかな内湾から汽水域を好むので、沖縄島の例えば漫湖などでは小さな群れが見られることもある。 この魚の地位を国民魚と言って差し支えないほどに押し上げてきたのが隣国の台湾である。サバヒーの養殖自体は東南アジアのインドネシアやフィリピンでも粗放的な養殖が行われている。台湾ではかつて、天然の水産資源を枯渇状態まで取り尽くした時期がある。この頃盛んになったのがサバヒーの養殖で、もともとはウナギなどのように天然の稚魚を集めて池に放っていた(このようなスタイルの養殖は各地にある)が、完全養殖に成功してからは養殖量が飛躍的に増加した、という経緯があるらしい。特に養殖の盛んなのが台南周辺で、おびただしい養殖池を見ることができる。台南、台江周辺では、河口のデルタ地帯の地形をうまく利用して、埋め立てはそこそこに養殖池に転用することで生活の基盤を築いてきた。また台湾で確立した、魚類とハマグリ(日本のものとは種が異なる)の混合養殖は台湾の台所を支えている。いまでも比較的安く、庶民の手の届くところにハマグリがあるのはこの養殖産業のおかげである。 さて台湾のサバヒーはきわめて高品質で、非の打ち所がない。あえて言うなら腹のあたりには脂がつきすぎていて、食べすぎると胸焼けするくらいだろう。もうひとつ、この魚には多数の肉間骨があるという問題があって、食味の邪魔をする。それで台湾ではサバヒーを基本的に背の小骨の多いところ、腹の骨の単純なところ、あらや頭という具合に切り分け、部位ごとに売られていることが多い。それぞれに利用方法が異なるからだ。ただしサバヒーの専門店となるとこの限りではなく、丸の新鮮な個体をたっぷり仕入れて、次々に下処理をする光景に遭遇する。 さていいサバヒーを食べるためには、今のところ台湾に行くより方法がない。サバヒーは潰したてがもっともうまく、死ぬとすぐ劣化が始まる。日本でも一部で冷凍のものが売られているが、少なくとも汁物にしたいのであれば買うのは控えた方がいい。産地の近い高雄や台南ではサバヒーの粥を食べさせる店が無数にあって、一部はほとん...

菜飯が好き

なかなかこのブログの更新がないのは、とにかくすき間時間すらなくなったこの生活に原因がある。すき間時間の減少は自炊活力を奪い、またブログの更新時間も奪っていく。電車移動がすっかり不便になり、主にこの更新作業にあてていた時間はかなり少なくなってしまった。 さて私は菜飯が好きで好きでたまらないのだけれど、普段作っている菜飯は葉を炒めてから混ぜ込むタイプのものだ。このきわめて細かく刻んだタイプのものが、我が家の味のひとつだった。 しかし本当は、そんなことをしないで済む方がいい。炒めるのは香りが出ることと、多少茎の固いものでも気にならなくなるという利点のためで、柔らかくて素晴らしい摘み菜であれば、漬物にしてから使うのもよろしい。茎の細い、柔らかそうな摘み菜を目ざとく見つけて、買い求めなければならない。今回はたまたま、和歌山県のスーパーで京都産のものを見つけて、わざわざ福岡まで持ち帰ってきた。 摘み菜は根元のところまでしっかり、砂泥が残らないように丹念に洗う。水気を切って大きなボールに入れたら塩をたっぷり、白さがあるくらいに振りかけて、10分もすると葉がしんなりしてくるから全体に塩が回るように軽く揉む。それからまた15分ほど置いて、しっかりしなしなになったことを確認したら、そのまま一度、葉をぎゅっと絞り、さらに水でさっと流してからまた絞る。これを束ねてジップロックに空気を抜いて詰めておく。ボールに水を溜めて、中で復路を閉じるようにすれば空気を抜くこと自体はたやすい。 こうして冷蔵庫で1週間も置くとちょうどいい加減に、青も美しく漬け上がる。少し刻んで塩気を確かめ、塩辛ければ少し水洗いして絞るといい。細かくたくさん刻んで、炊き立てのご飯に混ぜるとそれだけで食卓が豊かになる。こういう時間を大切にしたいものだ。

冬瓜と小豆と鯨

いよいよ寒くなってきた。今年は夏の暑さを長く引きずり、秋になってもなかなか気温が落ちなかった。12月の半ばに至ってようやくまともな寒気が来て、福岡でも雪が降った。 冬至に食べるものは地域や世代によってちがっていて、一般にはかぼちゃ(南瓜)を食べるらしいけれど、我が家では冬瓜を食べることが多かった。沖縄では冬瓜のことをシブイ呼んで、やはり冬至に汁にして食べることが多い。その他、小豆のジューシー、またここに冬瓜を加えたジューシーも冬至の食べ物だ。内地でも冬至に小豆粥を食べる地域がある。 そういうわけで夏に買っておいた冬瓜と、小豆を炊いて食べることにした。まずは小豆。さっと洗って水から強火で炊いて、沸騰したら2、3分ののちに湯を切る。冬瓜は切ったら中のたねのところをしっかりくり抜き、適当に厚めに切ってみて皮をとり(表面を薄く削ぐ程度で構わない。好みの問題)、おおよそ3センチ四方くらいに切る。鍋に被るくらいの水と入れて、沸騰したらすぐに湯から上げる。たまたま入手したツチクジラの生皮は、しっかり火が通るくらいに湯がいて、食べやすい大きさに切る。 鍋に水、小豆を入れて、このあとに冬瓜が入るから水はかなり多くてかまわないが、強火で沸かして沸いたら中弱火にして15分ほど煮る。ここにツチクジラと、かつおだし、濃口醤油、酒、みりん(醤油と酒とみりんは2対1対1とした)も加えて薄味の汁とし、また10分ばかり煮る。湯を通しておいた冬瓜と、薄切りのしょうがも少しだけ加えて、落し蓋をかけて10分ほど弱火で煮る。味を見て、薄ければ醤油で調整する。皿に盛ってからゆずで香り付けする。 これをいくらか余らせて、翌朝にジューシーにしたらたいへんすばらしかった。ジューシーはどろどろの白粥のように炊くのではなくて、茶粥の要領で、ぼこぼこと芯を残すようにして炊くのがいい。余らせた汁の中にさっと洗った米を加えて、中火にかけると沸騰して表面にブクブクが溜まってくるからこれを2、3回掬う。そのまま中火を維持して炊き、とろみが出てきたら焦げ付かないように火を少し弱めて、また最後は弱火にして好みの固さに調整する。気弱にずっと弱火で炊いたらどろどろになってしまう。シブイとアカマミのジューシー、今年食べたジューシーの中でもピカイチのうまさだった。

イイダコのたこめし

 福岡にいると馴染みがない気がするのがイイダコである。実際には有明海で一定の漁があり、また玄界灘にも生息しているものの、有明海では例によって減少が著しいためか、普通の魚屋、スーパーでは見かけることが本当に稀だ。たまにあ、と思うと、それはベトナムからの輸入品であったりする。 たまたま大阪を訪れたとき、出始めだったのがイイダコだ。オスとメスでは子を抱いているか否かで値打ちがちがうので、原則分別されて売られている。もちろん、メスの方が高値だ。まだ冬にもなっていないのに、子が十分あるというから魚屋の口車に乗せられて、10杯セットで買ってきた。中の墨や粘液、目玉はあらかた掃除されていて、もうあとは料理するばかりの親切が購入を後押しした。 イイダコと言えばなんだろう。子を活かすのはやはり煮ダコだと思うけれど、子のあまり入っていないものはぶつ切りにして大根や里芋なども炊くのもよろしい。もちろん、たこめしにしたってマダコに劣らずイイダコなりのよさが現れるものだ。特に瀬戸内海の各所では、マダコだけでなくイイダコもたこめしの具材になってきた。 さてイイダコは処理済みのものながら、まずはざるに受けて水洗いし、余計な汚れを落とす。水の中にイイダコを入れて、ゆっくりと火を加えていくと徐々に足が、ものの見事に巻いてくる。一気に強火で沸かしてしまうと中の子、つまりは飯が溢れてしまうから、ゆるゆるの火で、沸騰直前で火を止める。たこめしにするならもうこの程度でかまわない。イイダコを湯から取り出してそのまま冷ます。 茹で汁を強火で沸かしてあくをすくい、ここに好みの醤油と酒を加えて、うすい汁にする。少しくらいは甘みをつけてもいいし、好みでしょうがの薄切りを少し加えて香りをつけてもいい。この日はわずかながら上白糖を加えた。米は研いで30分ほど水を吸わせ、ここに今作った味付け煮汁を加える。今日は鍋炊きだ。弱火でゆっくり沸かして、沸いたらぶつ切りにしたイイダコと、適当な幅(少しだけ大きめ)にしたネギを被せて、ふたをして弱火で加熱していく。10分程度で炊き上がるのでこのあたりで火を止めて少しだけ蒸らす。焦げたところがうまいので、火を止める前、もしくは蒸らしたあとに中火にかけると底面に焦げができる。マダコと同じタコだけれど、イイダコにはイイダコなりの香りがあるな、と思う。

筋子を処理した

 いくらは鮭の子だが、腹から取り出したらすぐにあの姿になるわけではない、ということを知ったのはおそらく中学生か高校生の頃だ。そもそも私はいくらというものが子供の頃苦手で、上寿司を食べてもいくらは残す、という風な具合であった。いくらのうまさに気がついたのは、たぶん高校生になってからだと思う。北海道で食べた醤油漬け(当時は醤油漬けだと分かっていなかった)がことのほかおいしくて、はじめて自分でばら子(いくら)を作ったのが2014年だ。いくらは筋子をばらしてできるもので、その作業には手がかかる。 さて福岡にいてはほとんど筋子に出会うことがない。そもそも、福岡では「魚卵コーナー」そのものがとても狭いし、ないといってもいい。あれだけ明太子を食べるのに、スケ子(これは生のものを言っている)なんてぜんぜん売られていない。筋子を買うなら、まずデパ地下。でもデパ地下でも必ずしもいいものがあるわけではない。しかも割高である。まして近年は鮭そのものが不漁傾向にあって、筋子全体の値段も上がっていてひと腹でびっくりするような値がついている。そうなってくるともはやただの趣味として筋子を買い求める気持ちは全く萎えてしまう。 昨年から少し鮭がとれだして、今年はまた安くなっている。それでもスーパーで100グラム醤油漬けのいくらを買おうものなら1500円くらいになる。しかも、買ってみたところで好みの味とは限らない。そうなるとやはり自分で味付けした方がいい。今年はかるかりふぁーさんからメスの沖どれの鮭を1本、送ってもらったので、腹を割るところからの筋子の処理だ。忙しくて、それどころではないのにワクワクする。 生の鮭を触ったことのあるひとがどれほどいるか知らないけれど、実は鮭というのは体表がとてもぬるぬるしている。これが厄介なので、まずはしっかり体表を洗って、場合によってはたわしを使っても構わないが、ぬめりをあらかた落としておく。肉の方を食べる時に、鱗が気になるなら鱗も落とす。筋子は、とにかく1粒でも潰さないように取り出したい。腹を上に、頭を向こう側にして、包丁の先を肛門のところにあて、そこから腹皮を押し上げるようにして割いていくと筋子に傷がつかない。胸のところまでちゃんと切り開いて、慎重に取り出す。今回は両側で500グラムほど。だいたい左右で大きさが少しちがっている。 取り出したらいよいよ筋子の処...

今年も豆ご飯を作った

 異常に暑い夏が過ぎようとしている。 この暑さは、確実に農作物にも影響している。豆作りも困難をきわめたらしいが、幸いにして今年も、すばらしい出来のだだちゃ豆を恵んでいただいた。しかも量はたっぷりある。 少量ずつに小分けして湯がき、今年もやはり豆ご飯を作った。注書きのとおりに豆というかさやをこすり合わせるようにして洗い、塩を加えたたっぷりの湯で湯がいていく。火が入ってくるとトウモロコシのように甘く爽やかな香りがただよう。暑い暑い残暑の口の中に涼しさを運んでくる。豆ご飯にするものはかたゆでだ。沸騰した湯の中に入れて強火のまま、1分半で取り上げて氷水で冷やす。あらかた冷えたら豆とさやとに分ける。米は少しだけもち米を混ぜ、1時間ばかり吸水させてから(水はやや少なめにした)豆とさやを両方入れて早炊きで炊く。さやに塩気があるので、味付けなし。 豆はあと入れの方がうつくしい。けれどこの日は一緒に炊いた方がいいと思った。これは甘さと、香りとを食べるものだ。

シラハエのからあげ

まだおおらかだった時代に、愛知県西部での風物詩に春の終わりの稚アユ釣りがあった。堰を越えられずに汽水域にたまっているアユを、小さなサシムシで釣るというもので、多いと100匹くらい釣れる。必ず混じるのがオイカワで、だいたい1割程度は本種が混じる日がある。釣ってきたアユはからあげとなって、我が家の食卓を賑わせていた。思えば、幼少の頃はまだ「からあげ」と言えばもっぱら小魚の揚げ物であって、食卓に鶏のからあげが登場するようになったのは少し後になってからだ。 愛知県西部では、戦後しばらくの時代までシラハエ(オイカワ)釣りの文化があった。領内川、日光川、大江川、庄内川などかつてはそれなりの水質の水が流れており、秋から春がシラハエ釣りの季節になっていた。そういう光景が産業排水と伊勢湾台風とによって急速に廃れ、最後に残ったのがあの稚アユ釣りであったと思う。実際に、稚アユではなくもっぱらシラハエばかりを狙って釣っていた老人がいたことを思い出す。 オイカワがもっともうまいのは1月頃で、3月からは次第に繁殖に気を取られて肉が薄くなっていく。特にオスなど、握って分かるほどにうすぺたくなる。それでいて死ぬといち早く柔らかくなるから、例えば甘露煮などには向いていない。水がぬるんだ後ならもっぱらからあげにするのが良いと思う。これなら、雌雄混じっていても問題ない。 からあげ、の粉はなんでも良くて、好みによって片栗粉、小麦粉、天ぷら粉など使い分けたらいい。市販の唐揚げ粉には濃い味がついていて、つまみにするならその方が好都合に思われることもある。ただ、オイカワが不憫になるので私はあまり使わない。天ぷら粉ははじめから卵成分が入っている上、ベーキングパウダーも入っているので実はかなり使いやすい。川でオイカワとアユを捕まえてきて、腹を適当に出したら(冬のものなら腹を入れたままの方がいいこともある)塩コショウを振って、そのあとで天ぷら粉を水で溶かずに粉としてまとわせる。これを油で適温で、少し長めに、軽くなるまで揚げるだけでほどよいからあげになる。 冬場に比べると場所を選ぶものの、オイカワのからあげはやっぱりおいしい。海魚のような余計な油や酸味もない。一緒に入れたアユより、オイカワの方がうまかった。