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5月, 2019の投稿を表示しています

スリランカ風の夏カレー

このところの暑さで、完全に体がバテてしまう。例年5月には必ず、夏バテならぬ5月バテがやってくるのだけど、今年は暑すぎて本当にものをしっかり食べようという気がなくなる。 夕方、少し涼しくなって多少食欲が出てくる。スリランカではモルジブフィッシュなる乾燥カツオを調理に使うそうで、それならと厚いサバ節を砕いて、カボチャ、トマト、オクラ、甘長、たまねぎとココナッツカレーにしてみる。 なお、モルジブフィッシュというのはこんなものらしい。 https://spice-karapincha.jp/?pid=94660081 一般には普通のかつお節で代用できると書かれているけれど、これはたぶん、厚みが重要だ。そういうわけでサバ節の厚削りを粗く砕いておく。フライパンに油を敷いて、クミンシードとマスタードシード、唐辛子を炒めて油に香りを十分移す。それから玉ねぎを半玉、くし切りにしたものを炒めて、火が通ってきたらサバ節を投入。香りが立ってきたら角切りにして冷凍しておいたトマト1個、カボチャのペーストをひとかたまり、そして水を1カップくらい加えて、10分ほど煮る。状況によっては少しだけ水を足してからココナッツミルク(缶のもの)を100ccくらい加えて、あとはターメリックを少々。味を整えるために塩を少し、だいたい小さじに1弱くらいかな、加える。最後にオクラ3本と大きな甘長とうがらし1本を加えて、火が通ったらできあがり。このカレーは少し汁っぽいくらいがおいしい。分量は二人分。 私はカボチャを使ったカレーが大好きなので、安く売られているのを見かけるとすぐにまとめてペーストを作り、小分けして冷凍している。作り方は至って簡単で、カボチャの皮を剥き、小さく切ってレンチン。カボチャがしっかり柔らかくなったら鍋にみじん切りの玉ねぎを炒めて、そこにどかっと投入、水を適当に加えて木べらでかき混ぜながら煮詰めるだけ。いちいち裏漉しなんかしなくていい。あら熱が取れたらラップに包んで冷凍しておけば長持ちする。もちろんカレーではなくパンプキンスープやグラタンなどに使ってもいい。スープにするなら使う前に裏漉しすれば十分。それと、残ったココナッツミルクはそのままにしておくとすぐに傷んでしまうので、冷蔵しておいて数日のうちに使い切るか、または冷凍しておいたほうが無難かもしれない。

稚アユを炊く

稚アユはホンモロコと並んで、琵琶湖に春を告げる大事な魚だ。もっとも大事なのは氷魚。ひうおとか、ひお、ひいおと呼ばれているアユのこどもで、まだ色のついていない透明なもの。これが少し大きくなると稚アユになる。かつての日本では多くの地域でこの稚アユを食べていたと思うのだけれど、今となっては多くの河川で捕ることが禁じられているから、合法的に食べられるケースは少ないということになる。海では釣れる場所がいくらかある。 さてこの稚アユの新しいものを恵んでいただく機会があったので、京都風のあっさりとした炊き方にしてみる。鍋に番茶を少し煮出して、白醤油、水飴、ざらめを加えて煮汁を作る。酒を加えて沸騰したら、軽く水洗いした稚アユをばらばらと少しずつ、塊にならないよう、そして煮汁の温度が下がりすぎないように入れていく。入れきったら沸騰させてすぐに火をゆるやかにし、実山椒と細く刻んだしょうがを加えて30分ほど煮る。煮汁が6割くらいに煮詰まるので、そのままざるにあけて冷ます。要はくぎ煮と同じ方法だと考えてもらったらいい。煮汁が煮詰まるまで炊いてしまうと、稚アユの風味が死んでしまう。琵琶湖の東岸で食べる稚アユの甘露煮は、もっと濃いけどね。あれはもったいないと思う。残った煮汁は煮詰めて、寿司のツメに使ったり、または他の魚や野菜を煮るときに使うといい。 これもイカナゴと同じなのだけれど、鮮度のいいものでないと腹が割れたり、頭が取れてしまう。また、煮あげる途中で鍋をゆすったり、箸でかき回したりするのは厳禁だ。余計なことをしないで、がまんしてじっくりと煮ることを楽しみたい。たくさん作ったつもりが、あっという間に食べきってしまったのだった。

愛西市でそば

毛織物で栄えた愛知県西部にはかつて、各地に機屋さんがあった。機屋の主人というのは得てして趣味人が多くあり、豊かな家屋を利用してそば屋を始めたりする。そういうお店が水鶏庵であったり、あるいは日向であったりした。水鶏庵は私がもっとも長く通ったそば、きしめん屋であって、私のそば、きしめんの味のベースは確実にここから始まっている。その水鶏庵も6年ほど前に店仕舞いをされてしまった。店屋はほとんど取り壊され、形だけ遺された文化財の茶室が無惨な姿をさらしている。水鶏庵の名物だったきしころ(冷たいきしめんのこと)や、津島麩の焼き田楽はもう二度と食べられない。 日向というお店は、まだできてから10年ちょっとの新しいそば屋だ。お店にはできてすぐの頃、二度ほど行っただけ。がらんとして客は我々の組だけのようなものだったけれど、そばも、もろこ寿司もおいしかった記憶があって、しかし長らく出かけていなかった。それがふと行ってみたい気持ちになって、予約をとって行ってみた。 うつくしいお庭は変わらず、主人によって手入れされていた。お店で働くひとのなかに、見慣れた顔、聞き慣れた声があった。なんと、水鶏庵で長年勤務されていた方がいらして、思わぬ再会にびっくりするともに、うれしさのあまり涙が出た。ここに水鶏庵の記憶を共有できる場所がまだ残っていた!そういううれしさでもあった。店の主人は代替わりしていたものの、そばの味はとてもよく、しなやかで(以前のものはもっと朴訥としたものだった)すばらしい。もろこ寿司は以前と変わらぬ味でほっと安堵する。しかし、安堵したのも束の間、お店はこの日までの営業だそうで、またひとつ思い出のそば屋を喪ってしまったのだった。

焼きあなごで煮あなごどんぶり

北九州では魚屋の店頭に焼きあなご(マナアゴを白焼きしたもの)を見ることができる。愛知県から出てきた私にとって、これは驚きの文化なのだけど、瀬戸内海沿岸でも焼きあなごは普遍的な商材のひとつのようだ。これが福岡になるとほとんど見かけることがない。 焼きあなごを買い求めて、魚屋の主人に地元の食べ方をたずねると、「チンしてポン酢か、砂糖醤油でさっと煮てあなごどんぶり。海苔がありゃ文句がねぇな」ということで、飲み屋から帰ってすぐに焼きあなごを煮る。小鍋にあなごが浸る程度に水を入れたら、こいくち醤油ときび糖を等量(各大さじ2だったと思う)、酒少々を加えて煮立てる。砂糖醤油とこちらで言われるものはだいたいこのくらいか、あるいはもう少し砂糖が多い。白砂糖ならもう少し多い目になるけれど、さっと煮はきび糖がよい。煮立ったら半分に切ったあなごを入れて、はじめは皮を下に、次に身の方が下にとなるようにひっくり返して、中火くらいで煮る。汁が十分煮詰まってきたらあなごによく絡めて、ご飯に乗せる。小鍋に残った煮汁もかける。 このさっと煮はほとんど味が染み込まないから、あなご自身の味をほどよく楽しむことができる。柔らかく煮る場合には、水を多くして煮立てずにゆっくり時間をかけて加熱しなければいけない。

愛知西部のひきずり的親子丼

親子丼は日本のどんぶり料理の中でももっとも一般的なもののひとつだろうと思う。しかしその味付けや作り方には微妙ながら大きな多様性があるという会話を先日ツイッタ上でしていた。辞書を引くと、「どんぶり飯の上に、味付けして煮た鶏肉とタマネギ・シイタケなどとを鶏卵でとじてのせたもの。」とある。私の育った愛知県の西部は外食に乏しい土地柄で、古い定食屋は少なかった。しかし、いくつかのきしめん屋やうどん屋では、親子丼が定番メニューのひとつとしてあったように思う。私の好きだった水鶏庵のだったか、あるいは別の店でも出していたと思うのだけれど、その親子丼のなかにひきずりのように調理したものがあった。ひきずりというのはすき焼きのことで、しかし話者はもうほとんどいない。私自身の経験からすれば、すでに亡くなった大正生まれの曾祖母と、かつて近所にあった肉屋のおばさんが唯二の聞き取り例になっている。 すき焼きという料理も地域や家庭によって千差万別だと言える。愛知県西部の旧式のすき焼き、ひきずりは、鍋に油か牛脂を敷いてから、鶏肉または牛肉、ねぎを投入して表面をよく焼き、そこへ砂糖を乗せて割り下をかけ回す。そこへしらたきや豆腐などを加え、煮えたら食べるというもので、炒り煮のスタイルをとっている。我が家では最初にこのひきずり風で食べたあとに、普通のすき焼きをするのが通例だった。 さてその親子丼を作る。最初にさばむろ混合の厚削り節でだしをとっておく。これは100ccもあれば十分で、面倒ならだしの素でもなんでもいいけれど、今日はきしめん屋のだしを考えてこのように。そこへ白醤油を大さじ1くらい、たまり醤油を小さじに1、みりんを大さじ1、白砂糖を大さじ1と、酒をいくらか加えてつゆを作って煮立てる。スキレットにサラダ油を敷いて、少しばかり大きめに切った鶏のもも肉を両面とも強めの火でよく焼く。たまねぎと青ねぎ(本当は越津ねぎがいい)も加えて、強火で表面に火を通す。ここで先のつゆをお玉に2杯程度加えて、鶏肉に火が通るまで煮る。火を切ったら溶き玉子(2個が適量。あまりしっかりと溶かず、むらを残した方がいい)を箸を伝わせてまわし入れ、ふたをして10秒程度置き、手早くご飯の上に移す。写真のものは手早さに少々の抜かりあり。 ねぎは煮すぎると色が悪くなってしまうから、場合によっては炒めたあとに一旦取り出しておいて

インドネシア東部の赤いナシゴレン

今日はあついのでナシゴレン。毎日暑いと言っている気がする。ナシゴレンはインドネシアやマレーシアのどこでも食べられるけれど、これも実に多様な料理で、地域や店によって大きく味は異なる。こういう赤いナシゴレンは、宗主国がオランダだったインドネシア東部の方に多い。ナシゴレンはマレー語のナシ(ご飯)のゴレン(炒める)なので、要するに炒飯のこと。辛いものが多いけれど辛くないものもある。インドネシアの共通語はマレー語をベースに作られているので、マレー語と共通の言葉が多い。 ナシゴレンは先に味付け用のソースを作る。ナンプラーを小さじに1杯半、トマト缶を3分の1くらい、ケチャップを少々、ウスターソースを少々、醤油を小さじに1杯混ぜておく。醤油なしでナンプラーだけにしてもいい。隠し味?にトムヤムペーストを小さじに1杯入れる。これがだいたい二人前の量だと考えてもらったらいい。フライパンにサラダ油を敷いて、唐辛子、にんにくのスライスを炒める。油に香りが移ったら牛肉を加えて炒め、火が通ったら玉ねぎも加えて火が通るまで炒める。一旦これを取り出したら、油を敷き直してコブミカンの葉を加えて香りを付ける(これはなくてもいいけれど、私はトマト味の甘いナシゴレンを作るときには必ず入れる)。そこへ先に作っておいたソースを全量入れ、少し煮詰める。煮詰まり始めたら冷凍ご飯。冷たいところが残っている程度に解凍したものを加えて、ご飯のかたまりをつぶすような形でバラバラにしていく。ご飯全体にまんべんなく色がついたら、先の牛肉と玉ねぎを戻し入れて、2分ほど炒める。 両面を焼いた目玉焼きと、刻んだパクチーを乗っけてできあがり。きゅうりのピクルスも添えてみた。と、皿に盛ってからピーマンを入れ忘れたことに気づく。そんな日もあるよね。インドネシアでナシゴレンには、実はサンバルという辛いソースが欠かせない。しかし多くの場合これは日本の家庭にはないし、入手も難しいので、ケチャップとウスターソース、醤油でそれらしくしている。

スズキのフォー・カー

ベトナムの市場は真っ暗なうちから始まる。市場での調査が終わる頃にはおなかペコペコ。そんなときの心強い味方がフォー屋さんだ。フォーは米でできた平たい麺で、ベトナムを代表する料理だと思われている節があるけれど、基本的に朝しか食べられない(昼には閉まる店も多い)。しかも、食べられているのはもっぱら北中部で、南部のニャチャンなどでは全く食べる習慣がない。ところで毎日が暑いので、フォーが食べたくなる。私はベトナム人ではないから、別に夕食にフォーを食べたっていいはずだ。この日はフォーにすると心に決めて、パクチーを買って帰宅する。 ベトナムで食べられるフォーは、圧倒的にフォー・ガー(鶏)とフォー・ボー(牛)である。しかしときに、練り物や魚肉を使ったフォー・カーもある。冷蔵庫にスズキのあらの残りと、冷凍のスズキの切り身があったのでこれを使う。スズキのあらは軽く湯引きしてから、水から吹きこぼれない程度に強火で炊く。あくは気になったらときどき取るが、取りすぎないほうがいい。十分に出汁が出てきたらガラスープの顆粒を小さじに2杯、ナンプラーを1杯から1杯半加える(これでだいたい2杯分だと思う)。そこへ皮つきのしょうがのそぎ切りを少々、コブミカンの葉を2枚、あとはパクチーの根っこのところを加えたら、スズキの切り身を一口大に切ったものを入れて火が通るまで煮る。器に汁を入れてからお湯を切ったフォーを水洗いせずにそのまま加えて、その上にスズキのあらと切り身、刻んだパクチーをあしらう。 ベトナムのフォー屋さんでは、たいてい籠盛りの香草がどさっと出てくるので、これを手でちぎって汁に加えて食べる。あとはライムや、生の唐辛子もついてくる。残念ながら我が家にはこれらがないので、代わりに橙を搾って、コーレーグースをかけて食べてみた。単純だけどおいしい。これがフォーのいいところだよね。

簡単な玉子チャーハン

玉子料理はすべての料理の基本だと思っている。ゆで玉子、炒り玉子、玉子巻き、だし巻き、オムレツ、茶碗蒸しと、その料理は単純でありながら多彩で、火加減が重要なものが多い。 今でこそ庶民の味方のひとつとなっている卵、かつてはとっても貴重なものだった。よくちらし寿司などに錦糸玉子が含まれているのを目にするけれど、これは玉子が高級だった時代の名残だろうと思っている。それはともかくとして、私はとにかく玉子料理がだいすきで、よく食べる。もっとも好きなのは目玉焼き。だけどこの日は玉子チャーハンを作る。 我が家には中華鍋もあるけれど、面倒なので簡単にフライパンで作る、いわゆる黄金玉子チャーハンだ。これを成功させるコツは、必ず冷凍のご飯を使うこと。冷凍ご飯をまだ冷たいところが残っている程度に解凍する。ボールに卵をひとつ溶いて、ここにわずかのオイスターソースと塩コショウを加えて、解凍した冷凍ご飯を入れて全体がばらけるようによく混ぜる。米の一粒ひとつぶが玉子液でコーティングされる。まぜたらすばやく加熱に移る(長く置くと米がべたついてくる)。フライパンに油を少し多めに敷いて(でないとチャーハンらしくならない!)にんにくを炒めたら、熱いフライパンにコーティングご飯をすべてあけて、フライパンをときどき揺すりながらほぐすように炒める。玉子の液でもともとバラバラになっているものだから、すぐにパラパラチャーハンになるわけだ。で、炒め終える少し前に刻みネギと、干しサクラエビを加えて、火が通る程度に炒める。味見してみて、味がうすいようなら塩コショウで味を整える。今回はナンプラーを少しだけ加えた。 味気がもう少しほしければ、中華だしの粉末やチューブ入りのものを加えるのが手軽でいい。具はあまり炒める必要のない小ねぎや、ハム、チャーシューなどがいい。生の豚肉などを使ってもいいのだけれど、その場合これだけ先に炒めて火を通しておき、あとから加えるべきだろう。

走りのスズキで吸い物

暑い、あつい、あつい。こんなに暑いととたんにバテてしまう。魚を見てもなかなかいいものがない。これだけ暑いと、魚たちも次第に初夏の装いになってくる。 走りのスズキでいいのがあったので、刺し身で食べてみる。スズキという魚は季節を選ぶ。旬は夏で、冬が近づくにつれて卵が入り、どんどん肉が痩せていく。産卵直前から直後のものはぼろぞうきんとかねこまたぎなんて呼ばれて、いくら安くても絶対に買おうとは思わない。これが4月も半ばを過ぎると質のいいものが出始める。夏が旬とは言っても、それを先取りしているものが必ずいる。スズキは顕著な季節性に加えて、個体差が激しいことも特徴なのだけれど、いいものの身にはほのかで上品な甘みがある。これが分からなくならないようやや厚めに造り、しょうゆをほんのわずかに付けて食べる。こんなスズキが出てくると、もう夏もすぐそこだなと思ったりする。 いいものは身の色つやで分かる。ただ、明文的にあらわすのはむずかしい。スズキは熟成なんてさせないで、とにかく身の活かったものを食べるべきだ。 さてこのスズキを一目見て、頭に吸い物の図が思い浮かぶ。それで、頭と腹のところのあらを分けてもらってくる。スズキは皮に川魚を思わせるにおいがあるので、振り塩をして少し置き、しっかりめに湯引いてから使うのが鉄則。単に湯をかけるよりも、沸騰した小鍋に直接入れて、少し煮たほうがいい。これをざるにとって冷水をかけ、わずかに酒を加えた水で煮る。沸騰してきたらあくを丁寧に取る。スズキは他の魚に比べて身離れが良すぎるので、あら、特に頭はあまり小さく潰さないで、大きいまま使った方がいい。だいたいあくが出なくなったら薄口醤油と少しのみりん、塩で調味する。 潮汁と似ているけれど、私の基準ではしょうゆを加えたら吸い物。なのでこれは吸い物だ。ヒラスズキなら潮汁にするし、スズキなら吸い物か味噌汁ということになる。

だしが大事な冷や汁

暑いなーと思う。例年、5月の中頃には急激に暑くなるときがあって、そのたびにバテる。夏バテならぬ皐月バテである。そんなとき、無性に冷や汁が食べたくなる。 冷や汁は宮崎の郷土料理。いろいろなレシピも出ているけれど、本当に冷や汁を真の底からおいしく楽しむのなら、些細な手間を惜しみなくかける必要がある。まず、前の日にだしをとる。むろあじとさばの混合厚削り節を煮出して、冷えていてもおいしい深いだし汁を作る。水400ccほどに節を一掴み加えて、ゆっくりと加熱する。沸騰したら火を弱火に落として10分近く煮る。3分ほどすると汁にうまみが出てくるが、我慢してもう少し煮る。だし汁を濾したらボールであら熱を取り、冷蔵庫に入れておく。だし殻の節は黒くて硬いところを取って、柔らかいところだけを裂く。ウルメイワシの干物を1枚焼いて、骨や血合いを取り除いて好みの大きさにほぐす。これを混ぜて冷蔵庫に入れる。木綿豆腐はハーフサイズのものを水切りしておく。ここまでが前夜の仕事。当日になったら、まずは器を冷凍庫に入れて冷やす。いりゴマを擂って麦味噌大さじ2ないし3杯に混ぜ、アルミホイルに薄く伸ばしたものをオーブントースターで焦げるまで焼く(本来はほぐし身といりゴマと味噌を擂り鉢で擂って、鉢ごと火にかけて焼くようだ)。この間にキュウリ半分とミョウガ1個を刻んで、前者は塩揉みする。焼き味噌のあら熱が取れたらみりん大さじ1杯と混ぜ合わせ、焼き味噌が解れたところで冷蔵庫に冷やしておいただし汁を加えてよく溶く。干物の塩気が入るのでやや薄味で構わない。水切りした木綿豆腐を手で崩し入れ、節と干物のほぐし身を加えたら冷やしておいた器に移して、キュウリとミョウガをあしらう。これで2人前になる。 ふつう、冷や汁には氷を加えるけれど、だし汁が薄まっていくのがいやなので、だし汁と器を冷やすことで解決する。どちらかというと干物から塩気が出てきて味が濃くなっていくこともあるので、その場合は差し水したらいい。冷や汁はキンキンに冷たいとおいしくないので、あくまで素麺のつゆ程度の冷ややかさを目指す。爽やかさと、深いうまみとが共存する料理だ。今回は基本形にしてしまったけれど、ここにオクラや刻んだ梅干しを加えてもうまい。干物は青魚のもの、イワシ類やアジ、サバなんかがいいけれど、なければだし殻をほぐしたものだけでも存分にうまい。

がねの乗ったかけそば

鹿児島というところはそば不毛の地(これは内田恵太郎の言)、九州にあって、実はそばの生産地である。実際、県内各地にそば屋があり、いずれもそこそこおいしい。個性もある。 とあるあばら屋のようなそば店。天婦羅そば、天婦羅うどん、それにめししかメニューのないぶっきらぼうな店に入る。そこで出てきたのがこれ。なんと"がね"の乗ったそばだった。 がねというのは宮崎南部から鹿児島、また天草などでも食べられているらしいもので、細く切ったさつま芋などをかき揚げ状に仕上げたもの。カニに似ているからがね(鹿児島の発音でいうところのカニ)だそうだけれど、本当だろうか。このがねは単にかき揚げにしただけのものもあるけれども、うすく味を付けたものもある。ここのものはうっすら味が付いている。がね自体は探せばスーパーでも売られているようなものとは言え、これをそばに乗せて食べるというのは、あまりないと思う。かけつゆはかつおを強く効かせて薄口醤油で調味したもので、そばは鹿児島によくある田舎そば。おもしろかったので再訪したい。

焼き甘鯛できしめん

我が家ではきしめんをよく食べる。時間のないとき、手抜きにしたいときの昼食、夕食は、たびたびきしめんになる。きしめんの基本型はムロ節やサバ節をひいて、白醤油やたまり醤油、みりんで調味したつゆに、青菜とその他のおかずを加えたもの。しかしそればかりではつまらないので、ときに変わり種も作ってみる。きしめんはかなりこだわりがあって、乾麺についてはいつも一宮の製麺業者のものを愛用している。 冷凍庫を物色すると冷凍焼けしかかった甘鯛が出てくる。これをきしめんに使うことを思いつく。甘鯛は半身で安く売られていたものの鱗をすいて、うすく塩をあてて冷蔵庫で2日ほど寝かせたものだ。塩がうすくて、甘鯛の鮮度もほどほどであるので、これ以上寝かせると痛んでしまうというようなもの。表面を水洗いして解凍したら、水気をよく拭き取って適当な大きさに切る。これを焦げ目がつくぐらいに焼く。頭やかま、尾の部分を昆布と一緒に水から炊いてだしをとり、わずかのかつお節と薄口醤油、酒で調味する。甘鯛からもわずかながら塩気が出てくるが、好みで少し塩を振ってもいい。 身の部分は最後に乗せて、ふやけてきた頃合いで食べる。乗せてすぐではつまらない。ふやけてくると、身が骨からぽろっと外れる。口に含むとだしに包まれた甘鯛のうまみがじんわりと出てくる。食べ切ったらまた次の切り身を乗せて、ふやけてきたら食べる。こういうとき、ぜいたくってこういうことだよね、などと思ったりする。

子持ちのフナの煮付け

3月の終わりにもなると、ときどき春のにおいを感じるようになる。雨のあと晴れやかなるところに川のにおい、若草のにおい、いきものが活力を得る春のにおいだ。こんなにおいに包まれると、おだやかにうれしい気持ちになってくる。コイやフナが水辺に集まってきて、産卵のシーズンだ。こうして集まってくる彼らの肉は卵にすっかり栄養をとられてしまっている。卵は成熟を迎えて吸水し、膜が厚くなって硬いが、しかしこの真子にはこの時期ならではうまさがある。 卵で腹がぼてっとした、形のいいフナが捕れると、煮付けで食べる。琵琶湖でフナ鮨に使うニゴロブナも、しっかり成熟したものは鮨に不向きだそうで、もっぱら煮付けで食べられていたようだ。煮付けで食べるフナは大きすぎないもの、だいたい手のひらくらいのサイズから、25センチくらいまでのものがいい。これを関西風に炊いてみる。フナは頭を包丁の背で叩いて気絶させてからうろこをすき引きにして、エラをとって水に入れ、血をある程度抜く。腹の右側を少しだけ裂いて、そこから内蔵を取り出す。胸鰭の付け根の下くらいにある胆のうを潰さないように注意する。卵が漏れやすいので、あまり大胆に裂いてもいけない。肛門より後ろ側は幅3ミリ程度に骨切りして、肛門より前は少しだけ切れ目を入れる(味が染みやすいのと、形がよくなる)。鍋に湯を沸かして少しだけ番茶を煮出したものへ、左側を上にしてフナを入れる。腹のところが盛り上がってくるから、お玉で少し押さえて形を整える。フナを一旦取り出して、鍋にフナが被りきらないくらい水を入れたら酒、しょうゆ、ざらめ糖を加えて、煮汁を作る。薄味なら白醤油大さじ3、たまり醤油大さじ1、ざらめが大さじ3杯くらい。濃いめが好きなら少し増やす。煮汁には番茶を少し煮出して、あとは梅干しをひとつ加える。これを煮立ててからふなを加える。ふなははじめ、煮崩れない程度に中強火で炊き、よくあくを取る。ふたをするとにおいが籠るから、ふたもしない。あくが出なくなってきたらアルミホイルで落し蓋をして、弱い火に落として煮る。煮始めてから40分ほどしたら火を切り、よく冷ましてから再び加熱する。魚卵は火が通りにくく、味も染みにくいので、少し長めに炊く必要がある。 京都の煮付けにはみりんは使わなかったと古い人に聞いたことがあるけれど、本当だろうか、と思いながらの煮付け。このフナは当

あらのあらで潮汁

あらという魚がある。標準和名の指すアラではなく、北部九州でハタ族(基本的にはマハタ属)を指す地方名だ。このあらの中でも、もっとも味のよいもの、本あらとも呼ばれるものがクエだ。 クエという魚はほとんど日本周辺に固有のもので、大きいものでは40キロ程度にもなる大型のハタ科魚類だ。値段も基本的には飛び抜けて高い。今や西日本では高級魚の代名詞的存在のひとつとなっている。そんなクエ(あら)のあら、要するに3枚におろして身の部分をとった残りの部分が、小振りなものながら破格の安値で売られていたのを買ってくる。悩んだ末に、まずは半分を潮汁に仕立てることにした。 あらのうち、うろこの残っている部分はすき引きしておく。すべて裏表に振り塩をして、10分ほど置く。これを沸かした湯に放り込んで、表面に火が通ったらすぐに冷水にとり、表面のぬめりや、固まった血、腎臓などをよく取り除く。水の中に昆布を入れて、酒を少々加えたものに湯引きしてきれいになったあらを加えて、ゆっくりと沸かしていく。沸騰直前に昆布を取り出して、中弱火にして根気よくアクを取る。最後にわずかの塩と白醤油(これは潮汁2杯分に対して小さじに1杯程度にする)で調味する。実にシンプルな料理なのだけれど、とにかく丁寧に、根気よくやらないと汁が濁ってしまう。濁ったものは潮汁とは言えない。 潮汁はまるで海水に魚を放り込んだだけ、のごとく、汁が澄んでいることが大事だ。繊細なうまみを味わうぜいたくさがある。私が潮汁を好んで作るのは他にマゴチ、マダイ、ヒラスズキ。 ところでこのあら、半分は潮汁に仕立てたものの、残り半分は湯をかけて掃除しただけで残してあった。これらについては、一切のアク取りをしないで、強い火で炊き込む。そうするとこのように、濁った、しかし強いうまみの野性的な汁ができる。 うまみが強い一方でクセも出るので、一長一短。だけど、それを押しても良いところも悪いところも、ぜんぶが濃縮されているということなので、これこそクエの味だと言えるかもしれない。この汁をご飯にマアジの刺身を数切れ乗っけて、七味と山椒を振りかけたものにかけ回して食べてみる。これはめちゃくちゃ、うまいですね。 北九州では古くは正月にこのクエ(あら)を食べる文化があったのが、一時まったくと言っていいほどに漁獲が激減して、それでこの文化はほ

元号越しにそばを食べる

いよいよ改元、平成が終わって令和になった。自分の生きているうちに、このように祝意をもって改元を迎えられるのは一度だけかもしれない。そう思ったら平成最後の日にあたって、新しい元号を寿ぎ、これまでつとめられた天皇陛下に謝意を示しながら、この歴史的な日に、歴史の歯車として何かしないといけないのではないか、という平常ではない気持ちになる。このそぞろな気持ちから、我が家ではささやかな飲み会を催すことになる。それで、年越しそばならぬ元号越しそばである。 平成の天皇陛下は魚類学者として、ハゼの仲間のご研究を精力的に行われた。冷蔵庫を探ると晩秋に作ったウロハゼの焼き干しがまだ残っていたので、これと、焼き干しのフナ、昆布、干し椎茸でだしをとることにする。ウロハゼとフナは熱湯をかけ回し、表面の汚れを指の腹でこそげる。ボールに水とわずかの酒を張って、そこにウロハゼ、フナ、洗った干し椎茸と昆布を加えて一晩置く。 朝になったら椎茸を引き上げて、中弱火にかける。ゆっくりと沸騰させるのがいい。沸騰直前に昆布を取り出して、沸騰したらあくを丁寧に取りながら10分ほど煮出す。その後火を止め、魚を入れたままよく冷ます。これで汁の素ができあがる。 魚を取り出した汁を沸かして、沸騰したら火を止め、かつお節を少し振る。1分ほどでかつお節を濾したら、そこへ白醤油を少々とみりん、酒、塩で調味する。出し殻の干し椎茸は、同じく出し殻の昆布とともに煮しめておく。この日はフナのツメ(甘露煮を作った際に余った汁を煮詰めたもの)を水で溶いて、たまり醤油を少し加えたもので煮た。 そばを茹でて、茹で上がりが近付いたら汁にねぎを加えておく。もろもろを合わせて椀に盛ったらできあがり。 ウロハゼもフナも、本当にいいだしが出る。ウロハゼはマハゼにくらべると身が柔らかく骨は硬いので、出し殻を使って甘露煮を作るには向いていない。 我が国では各地で多様な焼き干し、煮干し、生魚を"だし魚"として利用してきたのだけれど、今は多くが下火になっている。一杯のそばを啜りながら、新しい世に生物多様性と、その恩恵たる食文化の行く末を想う。